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ましおの生活観

ましおの生活の中のアレコレを書くだけのやつ。

計画と無計画のあいだ。

おはようございます。こんにちは。こんばんは。感覚をとっても大事にできるようになって来たましおです。

河童図書館で出会った素敵な本を紹介します。 

 

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計画と無計画のあいだ 「自由が丘のほがらかな出版社」の話/著者 ミシマ社代表 三島邦弘

大学卒業して出版社に勤務後、衝動で会社を辞めて旅に出て、原点回帰をテーマとした出版社を立ち上げたミシマさんのエッセイ。会社ができていきながら、今に至るまでが現在進行形で描かれていて、その中でミシマさんが感じた計画と無計画の間にある自由について最後まとめてある素敵なお話。

 

大学4年生だけど就職しない。京都は出ようと思う。これが最近の僕の実態である。すべては感覚に生きているからである。これはまぎれもない事実であるし、当然親は٩(๑`^´๑)۶激おこプンプン丸である。心配させんじゃないよ!って会うたびに言われている。感覚は、「僕の人生だ!自由だー!」と燃え盛っているが、一方で論理(理性)は、「ちゃんと筋を通して安心させてあげるべきである。」と北国の水道水のように語りかけてくる。ポケモンでは火属性のリザードンは水属性のカメックスに負けて当然だが、僕はポケモンじゃないので火属性の方が勝っている。僕のリザードンは強いのだ。…とは言っても、リザードンハイドロポンプを食らいまくると弱ってくる。

つまりは、最近感覚が弱ってきてのである。

そんなときに、出会ったこの本には素敵なことが書いてあった。

自由であるために計画線はいらないのではないか。感覚だけを頼りに無計画線だけを延ばしていけば、自由は十分なりたつのではないか。そんな疑問を持つ人がいるかもしれない。だけど、僕はそれは違うと思う。

計画線のない状態。これは糸の切れた凧みないなもので、風に乗ってどこまででも飛んでいくかもしれないが、逆にどこへ飛んでいくかもわからない。戻ってくる場所もない。つまるところ、コントロール不能。それは自由とは言わない。たんなる暴走だ。計画線が引かれていれば、凧につながれた糸とひとしく、それがあるから、凧は元の位置に戻ってくることができるし、周りの人たちを楽しませることもできる。暴走は、誰も幸せにしない。もちろん自分自身も。

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僕は今、無計画線と自由の境界線くらいに立っている。半分、暴走状態だったことに気付いている。僕にとっての計画線の向こう側は、ぼんやりしてしまっている。もう、糸の凧は切れかけだ。だからこそ、今は計画線のところ(つまりは、春からの生活で言うところのお金の部分)はきっちり考えていかないといけないなぁって思ってます。リザードンを勝たせつつ、カメックスにも顔が立つようにしてあげないとダメだなぁと感じている。このまま行くと、誰も幸せにしないんだなぁって感じている。

たぶん、川谷絵音は無計画線の向こうで暮らしてて、小池都知事は自由の間で暮らしてる。うちの親は、計画線の向こうで暮らしている。

さて、僕はどこで暮らしたいのか?

そして、あなたはどこで暮らすのか?

自由に生きるためには、自分が自由ってことを理解してないとダメなんだなぁ。って痛快に理解させていただきました。ごちそうさまでした。

 

ほな。