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ましおの生活観

ましおの生活の中のアレコレを書くだけのやつ。

教育で求められる力を育てるとか正直、気持ち悪くない?

おはようございます。こんにちは。こんばんは。美人の先生が大好きだったましおです。

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先日、core+(コアプラス)という教育NPOさんが主催するEducator's Talk というイベントに参加させていだだきました。

http://www.coreplus.info/

このイベントは、日々教育に関わってる人からちょっと興味ある人までが肩を並べて教育について色々語らえる場作りを目的として毎回違うテーマを元にお話を楽しんでいるようです。今回は、「これからの教育に求められるものってなんだろう?」でした。そこで語らったこと、考えたことを綴ります。

 

  • 教育で求められる力を育てるとか、正直気持ちわるい。

これからの教育で求められる力ってなんだろう?って話をグループごとに話し合うとき、ある方が上の言葉を発しました。最初は、僕も何を言ってんだ⁉︎と思ったのですが深く聞いていくと腑に落ちてきました。教育って、子どもに求められる力を獲得させることが目的なのか?子どもが育つことはもっと自由なものなんじゃないのか?ということが、その方の発言の意図でした。僕自身は普通の公立学校に12年通いながら、フリースクールを身近に感じつつ育ったため自由な学び方についても浅はかではありますが知識があります。その素晴らしさも知ってます。でも、学校では求められる力をテストという結果で示し、良ければ褒められ悪ければ貶されました。その窮屈さも感じてました。そんなとき、先生たちは何を考えていたんだろう?それはきっと求められる力を如何に獲得させるか?であり、自由な学びに対してはあんまり肯定的じゃなかったような気がします。教育者が子どもをいつのまにか学力面においてロボットのように育ててしまう土壌は、求められる力のことばかりを考えてしまうからだったんだと思いました。学習指導要領も考えて作られてるのはわかるけど、そもそもいるのかい?って疑問も持ちました。※テストとかの仕組みについて学校の先生が悪いとか言いたいんじゃないです。学習指導要領っていう仕組みがあるから仕方ないんだなぁっていう理解をしています。

 

  • 少し前までは先生が楽しそうだった。なぜかって?それは、社会を創る子どもを育てていたからからだ。

今の先生はみんな大変そうです。親にも行政にも子どもにも望まれることに応えないといけなくて大変そうに感じてます。その中で、今日も確実に僕の友人で先生をやってる人が楽しそうに先生をやっています。苦しい人もいるけど、楽しんでいる人もいる。その差異は何か?それは、教育者としてのスタンスだと思います。今は、求められる力がアレコレ言われて、人工知能やらなんやからで学習効果を計られてデータとして力量が評価されたりして…もう人からの目が強すぎてそれに応えることが教育の目的になっちゃってる部分があると考えました。昔はそんなところはある程度、どんぶり勘定で流してしまって「社会に求められる子どもを育てるんじゃなくて、社会を創っていく子どもを育てる!」という気持ちがあったんだとある方のお知り合いがおっしゃってたそうな。教育も他の仕事と同じで、能動的にやるから楽しいんであって、受動的なやらされてる仕事は楽しくないんだなぁって感じました。でも、昔に比べれば今はやらされてる仕事が多いことも事実だと思うので現役の先生や目指してる人頑張ってください。思いっきり応援します。やらされてる仕事を乗り越えて、先生っていう仕事を楽しんでほしいです。

 

  • 教育者は、自分自身がどんな未来を作りたいか考えよう。

子どもが大好きだから、教育の道へ行く。僕も同じです。子どもが大好きだから、可愛いから教育っていう分野で生きたいと思ってます。でも、教育って社会の目や親の目や色々と監視管理の多いところでもあると思うんです。だからこそ、やらないといけないことに殺されちゃいそうになるんじゃないかな。でも、それに目を向けてしまうとあなたが死んじゃいます。だからこそ、自分自身がどんな未来を作りたいか?そのために、どんな風に子どもに育ってほしいのか?をよくよく考えて、楽しめるようにしちゃいませんか?そんなのエゴだ!よくない!って言われるかもしれませんが、子どもに自由に育ってほしいなら自由な学びを実践すれば問題ありません。それぞれが目指すものを目指して、社会的に教育が楽しくて、おもしろいものになる日が訪れるといいなぁ^ ^

 

 

ほな。