ましおの生活観

ましおの生活の中のアレコレを書くだけのやつ。

太った男を殺しますか?

おはようございます。

こんにちは。

こんばんは。

功利主義のましおです。

 

太った男を殺しますか?

f:id:mashio0376:20160920135451j:image

いきなり深い問いを突き立てられ始まるこの本「太った男を殺しますか?〜トロリー問題が教えてくれること〜」を読みました。

 

トロリー問題

f:id:mashio0376:20160920135732j:image

 条件は

①暴走列車が5人を轢き殺そうとしている。

②分岐線上に一人がいる。

③私は分岐スイッチを押せる位置にいる。

④スイッチを押せば5人を救えるが、別の一人を殺すことになる。

ここであなたは、直面する。5人を救うか?1人を救うか?という問題に。

 

このとき、人として度の判断が正しいのか?を哲学の歴史を振り返りながら考えていくのがこの本の特徴。

 

ちなみに、僕は1人を救います。5人が轢かれることは運命であり仕方のないことで、本来は死ぬ運命になかった1人を自分の手で殺す勇気を僕は持ち合わせていないから。

 

しかし、本の中で功利主義は迫ってきます。社会的に考えると「5人が死ぬより、1人が死ぬ方が社会的損失が少ない。」と。 

 

功利主義とは、「社会の最大幸福に重きを置くことが思想として最善である」とする哲学一派であり選挙制度の多数決を良しとする前提に用いられる重要な考え方。

 

社会全体で考えると5人が死ぬより1人だけが死んだ方が損失が少ないので、分岐スイッチを押すべきだ。

そう言われてしまうと、確かにそんな気がする。。

 

しかし、当事者になったときに良心の呵責に苛まれずにいられますか?

 

僕は、この良心の呵責を重要視しない功利主義があんまり好きじゃないです。

社会的には正しいことであっても、個人の良心という範囲では正しくないことがあると思うです。

 

安楽死は日本では、社会の損失という視点から禁止されていますが個人の尊厳という観点から考えると「人に迷惑をかけながら生き永らえたくない。」という想いは正しいと思うし僕だって80歳になってボケまくって家族にとって迷惑な存在になるのであれば安楽死したいと考えてます。安楽死という制度が認められるならば、ボケた時用の遺書にはっきりと「死なせてくれ。」と書いておきます。

 

でも、功利主義が社会の運用や平和のために重要な役割を果たすことがあるのも事実。選挙ができないと困るし、法律だってないと困るわけで。

 

正しいってなんだろう?と改めて悩みました。

僕はこれからだって今まで通り自分が正しいと思ったことを正義だとして生きていくし、間違ってたときは潔く謝ろうと思ってます。

 

自分の夢を追いかけるとき、親や周囲の反対を受ける場合があっても自分の正義を貫くことが正しいと思う。人生は一度であり、自分のものでしかないのだから。

それが、夢っていうものに対して自分が考える正しさです。

 

あなたは、何を正しいと考えますか?

一度、ゆっくり考えてみてはいかが?

 

ほな。